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1)時空を越えて語り継がれるもの
1812年4月14日、当時イギリスが世界に誇った超豪華客船タイタニック号
(43,000t)が世界一周の処女航海に旅立った。しかし、不幸なことに世界
の億万長者を乗せたこの客船は、ニューファンドランド島の沖合いで漂流
中の大氷山に激突して沈没する。

1513人の尊い命が失われたが、のちにこの沈没船は引き上げられる。
企画者の思惑どおり金銀財宝が深海から再び姿を現す。新聞が世界に
その驚きを伝えたとき、あるひとりの男がその情報に乗せて次のような
コメントを添えた。「予想以上の遺品にも驚かされたが、何と言っても私
たちを一番驚かせたのは、旅行カバンに収められていたドレスが一滴の
海水にも触れていなかったことである」。

彼はこう言いたかったのだ。「それほど頑丈で安全性の高い旅行カバンが
この世に存在している」ということを。
この男の名前はルイ・ヴィトン。そう、今や全世界の女性の心を引き付けて
離さない超一流ブランドの、あのルイ・ヴィトンなのであった。
 このエピソードは何を教えてくれているか。「時代を超えて。国を越えて
愛され引き継がれているものには、それにふさわしいストーリーがある」
ということである。

***ちょっと一服***
平成元年に開催した花王(株)の町民講演会
で、講演される花王の研究員。

手にされている商品が「バブ」である。
長湯温泉の炭酸ガスが、量・質ともに
日本一であることを実証された。

これから、長湯温泉の新しいドラマが
始まったのである。
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2)地域を導いた一通の手紙
九州の山深く、小さな町にも時代を超えて語り継がれるドラマは生まれる。
60年前、御沓ら先人の歩みを引き継ぐ歴史的な挑戦が繰り広げられること
になる。

町にその歴史的な挑戦を促したのは昭和60年、東京に本社をもつ花王(株)
からの一通の手紙であった。当時、入浴剤「バブ」の製品開発に懸命だった
同社浴剤事業部はドイツの温泉療養地で150年間研究され続け成果を上
げていた炭酸ガスによる温泉治療に注目していたのである。

つまり、炭酸泉の効能を入浴剤に取り入れようと調査研究を重ねていた
わけであるが、そのサンプルを全国の炭酸泉に求め、栃木県の研究所で
分析を行った。

その結果を知らせてくれたのが、浴剤事業部でブランドマネージャーを
務めていた古瀬氏であった。現在、シンガポールで活躍中の彼が届けて
くれた報告書にこそ、直入町の将来を占うキーワード「日本一の炭酸泉」
が証明されていたのである。まさに、ここから地殻変動を思わせるドラマ
が展開していく。

***ちょっと一服***

全国炭酸泉シンポジウムのリーフレット


全国炭酸泉シンポジウムの記念写真(拡大
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日本一の炭酸泉が実証されたこの時期、時を同じくしてふるさと創生という
新しい風が吹き始めた。「自ら考え自ら実践する」というテーマどおりの挑戦
が繰り広げられる。その一環として平成元年11月、炭酸ガスの医療効果を
論じる場として『全国炭酸泉シンポジウム』を設定。

全国各地から温泉療養を研究する400名の研究者が集まった。地方からの
情報発信が地域の活性化に多大な成果をもたらせてくれたのは言うまでも
ないが、もうひとつ、町に貴重な提言がなされた。

それは「炭酸泉というのは国内では珍しい特異な泉質であり、加えてその
医療効果は高い。温泉療養の世界的先進地であるドイツの温泉地に活用
のノウハウを学んだらどうか」というものであった。

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3)『温泉文化』との出会い
岩屋町長を団長とするドイツ表敬訪問団が結成された。全国炭酸泉シンポ
ジウムの成功に勇気づけられた地域はドイツ大使館からの情報を頼りに
ドイツでの代表的な温泉地バーデンバーデンや炭酸泉で有名なバートクロ
チンゲン、バートナウハイムを訪れた。

特にバートクロチンゲンとバートナウハイムでは炭酸泉による温泉治療の
歴史のすごさに圧倒された。日本でブームになりつつあったクワハウスも、
しかし本場の実態に触れて初めて、日本人がクワハウスに描いているイメ
ージがいかに薄っぺらで中身のないものだったかを知ることができた。

そして、ドイツでの温泉地めぐりを重ねていく中で、団員は温泉保険制度の
必要性とともに、もうひとつの重要なことがらに気づき始めていく。
それは「日本の温泉地での滞在は一泊二日の歓楽的パターンが典型なの
に、ヨーロッパの温泉地では癒しや安らぎを得るための長期保養型が主体
となっている」ことであり、「その演出のために小さな温泉地でさえ、個性的
な魅力づくりに努力していた」ことであった。

そして、この努力がその地域独自の温泉文化へと結晶していく。
団員が、目の当たりにその歴史を学び取ったことの意義は大きかった。
それまでの日本で、およそまだ造語されていなかったのではないかとも
思える『温泉文化』という言葉とその実際に出会った直入町。
それ以後の歴史的な行動はこんな国際交流での成果が背景に横たわって
いるのである。

異国の温泉地で触れた個性的な文化。それを知ることによって直入町の
一村一文化は『核』を得る。
温泉地だからこそ構築できた独自の文化、そして将来育むことのできる
誇り高き文化の創造というテーマが誕生するわけだ。
***ちょっと一服***
拡大
第一次表敬訪問団15名が綴った熱烈なレポート集
(後日掲載予定)
「百聞は一見に如ず」とドイツ語で書かれています。
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(拡大)
バーデンバーデン市訪問時の写真
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海のむこうには『人』がいて、『感動』が満ちあふれていた。
温泉の施設にも町並みにも、そして大きな森にも
崇高な思想が息づいていた。
いま、最も大切に考えなければならないものが
何であるのかを教えられた。


岩屋万一町長のレポート(平成2年2月)
拡大版・・文字が読めるように大きくしています)

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4)一村一文化推進事業の展開
平成3年の春、それまでドイツに友好親善都市の誕生を実現させていた
直入町は毎年3名の若者をヨーロッパに派遣、人材交流の継続と異文化
交流による地域の目覚めを期待していたが、さらなる展開と飛躍を求めて
一村一文化推進事業の指定を大分県に希望し、採択される。

テーマは『九州アルプスから世界が見える・・・直入町ドイツ温泉郷づくり』
日本一の炭酸泉を生かし、世界を意識できる独自の、魅力ある温泉文化を
構築していきたいという夢と希望が込められていた。

初年度、直入町はドイツ語と英語を添えた統一デザインのサインボードを
設置、同時に半世紀前、ドイツを意識して魅力的な温泉地づくりに燃えた
先人たちの足跡を綴った「パンドラの箱に残されていた写真集」を発刊した。

そして、町民は、翌年に予定していた国際イベント実現のための交渉に第
二次表敬訪問団を結成して渡欧した。大分日独協会やドイツ領事館の
支援、そして自治省から指定された「国際交流のまち推進プロジェクト
事業」による施策展開も大きな相乗効果をもたらした。
されには文化交流というスタンスで挑戦したママさんコーラスグループの
ドイツ公演も、民間ホームスティ交流の礎を築いてくれたのである。
***ちょっと一服***
拡大
バートクロチンゲン市のフォックス市長に柿の苗木をプレゼント。
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さて、翌年、つまり平成4年度は推進事業の柱としていた国際イベント
「西洋と日本の温泉文化フォーラム」の成功に尽きる。
総額二千万円を費やしたこのイベントは、しかし、その経費からは想像も
つかないほどの成果をもたらした。

ヨーロッパからの参加者は招待者も含めて40数名、全国からの参加者も
800名に達した。世界を意識した小さな町の大きな挑戦は、歴史的な成功を
収め、全国、いやドイツへまでも見事にこの感動を伝えたのであった。
『思考は実現する』ことを証明した。
これによる効果は観光振興に顕著に現れた。観光客の安定的増加により
宿泊施設が急速に充実、平成4年、宿泊客数の年間伸び率は15%に
達した。
***ちょっと一服***
拡大
国際イベントで基調講演をする大分県知事
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平成5年度はこれまでの展開の広がりを検証し、そしてその余韻を楽しむ
充電期間として位置付けた年であったが、しかし、ここでも筋書きのない
ドラマが展開する。
国際イベントで開催したドイツ物産フェアーが友好親善都市との経済交流
を生んだのである。

平成4年、ジェトロ(日本貿易振興会)の支援を受けた商工会は、ミッション
団を結成し渡欧。ここで物産の調査を完了させていたが、平成5年にはその
基礎調査をもとにさらに細かな貿易交渉を進めた・
こうしてドイツ友好親善都市のバートクロチンゲン市との交易事業が始まる
のである。
***ちょっと一服***
拡大
バートナウハイム市を訪問。
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直入町のオリジナルラベルで化粧したドイツワイン、鳩時計、絵葉書などが
店先を飾る。経済追求はあるにせよ、ここにも物産を通じてドイツ文化に触れ
たいという地域の願いがある。

***ちょっと一服***
拡大
バーデンバーデン市を訪問
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日本温泉協会の木暮博士、山口大学の小川教授
ドイツの市長や博士もパネラーとして参加された。


ドイツの物産フェアー風景


民族衣装での国際交流


多くの海外参加者との交流風景


ドイツの方々の合唱団。


日本の文化・祭り・神楽の披露



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5)異文化との融合で独自の世界を
 それにしても、わずか5年。歴史づくりというのは想像を絶する急展開な
広がりを見せた。特に一村一文化推進事業を足掛かりにした取り組みは
「すさまじい」という形容がぴったりだ.
そして、これから。目の前に現れたのが、飲泉場である。

ヨーロッパが600年以上もかけて育んできた『温泉を飲むという文化』を
この直入町で花開かせる。炭酸泉という、特異な泉質ならではのアイデン
ティティだ。同時に温泉を飲むための、つまり飲泉カップの製作にも挑戦し
陶器と木製のオリジナルカップが完成した。

ごく近い将来に建設が予定されている温泉文化館。最終年度を迎える
一村一文化推進事業では、ここに展示する長湯温泉の歴史と資料の掘り
起こし、そしてドイツとの交流で生まれた融合文化を集大成する。

半世紀以上も前から今日に及ぶまでの長湯温泉の町づくりストーリーを
ドラマチックに描き出す作業だ。もうひとつが5周年を迎えるドイツ友好親善
都市との交流記念事業。すでにこどもたちの文通も始まってホームスティ
交流も待ち望まれている。
地域は、この記念事業が未来の国際人に印象的なイベントになったことを
確信した。
***ちょっと一服***
拡大)199/.05/08
文化交流のためバートクロチンゲン市を訪れたママさんコーラスグループ。
ホームスティによる歓迎を受けた。(揃いの踊りゆかたが好いですね)
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拡大)1990/10/03
公募により毎年3名の町民がドイツ友好都市を訪問する。
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6)文化は風、そして感動
 よく、過疎のために伝統文化や芸能を守るエネルギーがそぎ落とされ、
後継者も育たないという話を聞く。農村地帯の実態であることに違いは
ない。しかし、それは過疎化や高齢化という平面的な原因だけではない
ような気がする。

たとえば直入町が平成4年に挑戦した国際イベント。その夜の交流会、
もちつきや神楽に感動したのは海を渡ってきた友人たちだけではなかった。
演じた地元の住民にもかって見たこともないほど輝きがあったのだ。
つまり異文化に触れて感動する人たちが目の前にいたからこそ、自分たち
も感動できたのである。

年一回小さなお宮を舞台に神楽や獅子舞いを演じる。演じる側も見る側も、
もうここ何十年とお馴染みの顔だ。演じる動作が非日常的であるほかは
(しかし、この動作だって一年刻みで継ぎ合わせるとまったくの日常的行為
なのではあるが)何の変哲もない。

昔、このハレの日はすべてが新鮮で、見る側に異文化人がたくさんいた。
もちろん、逆の視点で見ると演じる側だって異文化人だったのである。
異文化に接することから身も心も燃え上がり、非日常的な感動を与えて
くれた。そしてその余韻がエネルギーを生み、次の日からの日常を支えて
くれたはずだ。しかし、いまは非日常もそして異文化もない。

だから感動もないのであって、だから新たなエネルギーを生むこともなく
なった。過疎化や高齢化のほかに、こんな社会環境、文化環境の欠落が
あったということ。地域はそのことを知ったのである。

いま地域は、新たな風を求めてドイツとの交流に情熱を傾ける。すでに、
83名の町民がヨーロッパの土を踏んだ。人口三千人の、文字どおりの
寒村にあってこれだけ多くの町民が海外の風に触れた。そして確実に
その仲間たちは増えていく。

文化は風。踏み固められ、身動きできなかった意識に新たな風を送り
込む。そこに感動が生まれる。遠くを見据える力が養われる。
一村一文化推進事業はこれまでのような目の前の欲望をつかむことから
離れて、遠い先の地域とその住民を意識させるエネルギーを育んでくれる
ものと確信する。そう確信する。

田園風景の中、通学路にはドイツ語のサインボードが父親の笑顔のように
暖かくこどもたちを見守っている。

**一村一文化推進事業のスナップ*************
拡大)1991/07/17
第一次研修団は、プールでの温泉治療を体験。
バートクロチンゲン市にて

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拡大)1991/07/20
議会と各種委員代表による第2次表敬訪問団。
国際イベント支援要請で友好都市を訪れた。

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拡大
具体的な貿易事業の導入に成功した第二次経済視察団。
バートクロチンゲン市では直入町のための貿易会会社を結成。
これによりドイツワインが上陸することになる。

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拡大
国際交流5周年を祝って岩屋町長とバートクロチンゲンのフックス市長
そして平松大分県知事がドイツ村に記念植樹をした。(平成6年8月)

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拡大
「ドイツ音楽とワインの夕べ」には、総勢500人が集まって
交流を楽しんだ。

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拡大
ドイツ連邦議会の直入町訪問。足手荒神社の神楽を楽しんだ。

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「伝統も立ち止まってしまえば、ただの過去になる。」
第1次表敬訪問団を派遣して以来、町にはさまざまな評価が渦巻いた。
文化が形になるのは難しい。国際交流がすぐに私達の日常に豊かさを
与えてくれるものでもない。なのにどうして、地域はそんな批判に耐えて
新たな挑戦に立ち向かったのか。
 ある年配者はこう言った。「将来を語るものは世界を見ておかねば
ならない」そして、「伝統も立ち止まってしまえば、ただの過去にあるのです」
とも。そういえばドイツから帰国して間もない若者は興奮気味にこう言った。
「いま私たちはドラマチックな時を生きていると実感しました。」

ここには同じ時を生きてきた人々の感動がある。そして、その姿に接した
こどもたちがいる。その子供達の記憶から、この挑戦の記録が消し去られる
ことはない。ただ、これらが単なる過去になるのか、願いどおりに伝統として
地域の個性が育つのか。

歴史の香りが漂い始めた時に本当の評価がなされるであろう。


【歴史に刻まれゆくドラマ】おわり...
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